京丹後市の昭和の遺産 丹後の戦跡! 峯山海軍飛行場跡のページ。

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丹後の戦跡! 峯山海軍飛行場跡の 作成履歴
   
 2021年3月28日 航空隊跡地遺構の今、2021年3月現在を作成アップロード。indexページ改修。
Windows10、ホームページビルダー22に変更
 2019年5月24日  バターン体験手記よりページ作成
 2019年1月24日  FC2ホームページサービス(無料版)に本サイトは引っ越しました。
 2019年1月  いままで世話になっていましたYahooジオシティーズ(ユーザーホームページサービス)が有料、無料を問わず2019年3月31日をもって閉鎖になります。したがい、別サイトへ移行の準備をいたします。
 2016年11月  【 峯山海軍航空隊・河辺飛行場の記録 前編 】
「峯山海軍航空隊(河辺の飛行場)の記録
宮津 古川さんがフェイスブックに載せられた本サイト関連の航空写真など
宮津 古川さんから情報いただいた伊根空襲の記録

作成しました。

サイトのフォルダ、ファイル構成を抜本的に改造した。いままで追加追加で作ってきたがメンテがしにくくなり、系統別に改造した。
 2015年1月  平成27年1月、京都新聞に載りました。峯山海軍航空隊の記事です。
 2014年10月  2014年10月、小林昭三氏の新聞記事および訪問記
 2014年9月  近所のおばあさんが語った戦時記憶のページを作成
 26年8月9日  平成26年8月、峯空会事務局 藤村恒雄氏が自分史をネットに公開されていますが、許可を得て本サイトに編集の上、以下のページを作成しました。
藤村恒雄自分史(1)我が海軍予科練の話
藤村恒雄自分史(2)特攻隊の話
藤村恒雄自分史(3)私の太平洋戦争史(1)
藤村恒雄自分史(3)私の太平洋戦争史(2) 
 26年7月  鹿児島テレビが終戦特集番組で本サイトの画像を使用許可願いを受けました。
 25年7月  テレビ朝日の取材を受けました。終戦特集だったのですが、放映日に福知山花火大会爆発死亡事故が起きて、放送が縮小されました。
 
25年7月
跡地のいま、正式作成 indexよりリンク 
 24年8月21日  朝日新聞記者田中さんに取材を受け(8月13日)京都丹後・丹波版に本サイトが掲載された。ページ作成
 24年8月 宮津、増田さん、宮津空襲のサイトを作成され、相互リンクする。 
 24年4月18日  掲示板利用してアンケート復活
23年2月1日 鈴鹿格納庫保存問題ページ作成 毎日新聞 記者の目より
22年12月24日 格納庫詳細ページ作成、京丹後市教育委員会文化財保護課提供資料より
22年11月17日 平成22年10月30日をもって、突然予告もなしにインフォシーク(楽天)のisweb無料ホームページサービスが停止されました。これにより今までのアドレスでは本サイトが開けなくなりました。
突然でありましたのでびっくりしましたが、これも「無料サービス」であれば文句も言えません。
したがってYahooのジオシティーの無料ホームページサービスを利用させていただいて新規のアドレスで「峯空跡地」のサイトを継続することになりました。
21年12月6日 気になっていた峯山海軍航空隊の誘導コースと訓練空域の図を作成
21年8-9月 京丹後市ネットワーキング T−Wave に紹介記事を投稿
20年8月9日 同時にお借りしていた写真2枚(忠部隊発進武部隊発進)を宮本さんに返却した。
20年8月8日 大宮町口大野 伊東歯科医院 の伊東先生に御母さんの手記「息子のように」の本ホームページ掲載を、事後承諾ではあったがお願いしましたところ、非常に感激され、即刻許可をいただいた。
20年7月30日 「青春の軌跡「続編)」、「青春群像」峯空会発行冊子を宮本さんに返却する。
20年7月22日 「青春群像」(昭和48年発刊)のページ作成しました!けっこう大変な作業でした。なんとか峯空空襲記念日、昭和20年7月30日を目標に平成20年7月30日を目標にして作業しましたが、一応、アップロードをしました。今後不備箇所の更新に移ります。
20年5月22日 青春の軌跡(続編)峯山海軍特攻隊 飛神隊の全記録」を一応掲載しました。あとは部分修正です。がんばります。引き続き「青春群像」にかかります。これはいつになったら掲載が完了するか分かりません、膨大な量です。今回のテキスト変換ソフトは
本格読取2」を使用しました。完全変換とは行けませんが、かなり誤変換が改善して比較的短期間でアップロードにこぎつけました。
20年5月10日 宮本氏からお借りした峯空会編「青春の軌跡(続編)峯山海軍特攻隊 飛神隊の全記録」の本HPへの掲載許可を峯空会事務局の藤村様に申請しておりましたが、健康上の理由で応答できなくなられ、峯空園の「さくらまつり」に来丹された副会長鈴木様とお会いし、申請いたしたところ、許可が取れましたので、作成開始します。
(ー許可申請文を掲載しますー)
20年4月10日 掲示板をinfoseekからTerCupに変えました。出会い系投稿の掲示板荒らし防御が出来なかったためです。
20年3月18日 峰山町新町の松本氏の協力で送信所跡地探訪のページを作成
20年2月4日 京丹後市峰山町の宮本氏からご自身が調査作成された「峰山飛行場」「駆逐艦初霜」の紹介パンフをいただき、掲載許可を得て、新ページを作成した。
19年12月16日 貴重な個人収集資料をお借りしていた前川氏に資料返却する。
19年11月28日 悠遊織工房にあった「峯山海軍航空隊跡地」のページを独立したサイトとして引っ越す。
新しいサイトは Infoseek isweb の無料ホームページサービスを利用させていただいた。

独立させた理由は、直アクセスをしやすくすることであり、より、広報効果を上げるためである。悠遊織工房の趣味のサイトから切り離し一般性を持たせるためである。

このことは、産経新聞からの取材時、また、網野町前川氏の指摘、また、峯空会事務局に「青春の軌跡」の転載許可を依頼していただいた峰山町の早川氏からも指摘のあったことである。

リンク関係の不備は順次更新します。独立させてより公共性が高まりましたので、ぜひ、情報提供、保存運動などに利用頂き、多数の有志のご参加をお願いします。
19年9月 京丹後市網野町 前川氏が新聞記事を見てコンタクト頂く。前川氏は戦記物関係の研究家で、峯山海軍航空隊関係の知識も深く、収集資料も見せていただいた。広く賛同者を募り、峯山海軍航空隊の遺構を保存すべく手を打つべきと進言された。
19年9月6−7日 9月初めに産経新聞舞鶴支局京丹後通信部の安岡記者に、このホームページについて、作成動機、内容などの取材を受ける。その後9月6−7日に「置き去りの戦跡ー河辺飛行場の遺構」と題して産経新聞丹後版に記事が掲載された。
18年10月31日 補足取材を残すのみで、骨格が完成したので、自治会から借り入れていた「青春の軌跡」、武部様から借り入れていた「郷土と太平洋戦争」を返却する。
18年10月23日  かねてより格納庫の内部写真が載せたくて、吉村商店の吉岡氏に依頼していたが、格納庫所有者の吉村機業の佐久間氏に写真撮影と掲載の許可を頂き、本日立会い頂き撮影することが出来た。よって、格納庫ページに内部写真を掲載した。

 同じ日、格納庫近くの暗渠の上に、海軍マンホールが今も現存しているのを発見し、峯空園ページに追加掲載した。これでマンホール数は3個目である。
18年10月  京丹後市大宮町の大宮町誌(Web版pdfファイル)から河辺飛行場の記述部分からテキストファイルを作り、本サイトに読みやすいテキスト版を追加する

これで未完成ながら作成を一応の区切りとしてオープンとする。以後の予定は青年山の防空壕跡、荒山の通信基地の取材を残す。
18年9月、  「青春の軌跡」の記事内容についても、出来るだけ原文のままWeb保存を心がけ、残すように同じくスキャナで文字読み取りを実行して掲載に心がける。「青春の軌跡」発行元の「峯空会」は、戦後62年を経過して高齢化と現存会員の減少で、平成18年3月に解散となったと、早川さんからお聞きしている。

 「青春の軌跡」「郷土と太平洋戦争」この2冊の冊子に掲載されている記事内容は今後ますます貴重なものとなると思います。

 マインのすぐ東の新町公民館前に展示されている海軍のマンホールを撮影して峯空園ページに追加掲載した。
18年9月、  「郷土と太平洋戦争」の掲載記事について、内容が貴重な手記が多く、原文のまま掲載したほうが、よりリアルで良いと判断して、スキャナで文字読み取りを行い、出来るだけ原文のまま掲載に努める。この件も、中江先生にお会いして理解を得る。ただし、中にある「手記」については、現存者が居られれば、出来るだけ掲載の許可を取る努力をすることにする。

峯山航空隊の隊員さんが始められたブログを発見!早速リンク許可依頼して許可を頂く
18年9月2日  「郷土と太平洋戦争」の編集者、中江先生より、冊子内容の掲載許可をいただく。
18年8月9日  もう一つの情報源であった、大宮中学校版 「郷土と太平洋戦争」(昭和54年5月版)を善王寺、武部さんより借り受け。
18年8月8日  早川さんより、峯空会事務局に問い合わせを頂き、発行冊子「青春の軌跡」の内容の転載の許可をいただく。 許可内容は、 すでに発刊している「青春の軌跡」に記述してある内容であれば問題ない。ということであるとお聞きする。
18年7月 河辺の多治見さんの紹介を受けて、早川自動車の早川さん(峯空会会員)に、冊子「青春の軌跡」の内容の使用許可をお願いする。
18年7月 写真貼り付けた概略ページを作成し、悠遊織工房サイトに登録する(仮公開)
18年4月 写真撮影して、それを元に作成を開始する。
17年12月 貴重な情報源でもある 峯空会発行冊子 「青春の軌跡」を周枳地区自治会より借り受ける。
平成17年10月 「悠遊織工房」サイトに、丹後震災、飛行場跡を「昭和の遺産シリーズ」ページ作成構想を持っていたが、元飛行場周辺の宅地開発の状況から緊急性を思い、とりあえず写真撮影および資料集めを始める。
  峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物  保存運動を!

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