「海軍九三式中間練習機編隊飛行〜!!」
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峯山海軍航空隊跡地の今

2021年(令和3年)3月の遺構の写真です。(←ここクリック)


ショッピングセンター・マイン(エール)屋上から見た飛行場の残存建築物
(南東方向 平成18年4月23日撮影)
手前のホームセンター・ジュンテンドーの屋根の向こうに三つとも見渡せました。手前が屋根の吹っ飛んだ弾薬庫跡、中が油倉庫跡、向こうが格納庫跡です。
弾薬庫跡
一番手前の弾薬庫跡です。写真クリックで拡大画像を表示
油倉庫跡
二番目の油倉庫跡です。写真クリックで拡大画像を表示
格納庫跡
三番目の格納庫跡です。写真クリックで拡大画像を表示
格納庫詳細図
Yahoo地図に記した現存施設跡および、峯空会「青春の軌跡」より
峯山海軍航空隊
主要施設配置図

訓練空域図作成(h21.12)
峯山海軍航空隊跡地の今
2021年(令和3年)3月の遺構の写真です。 

過去の遺構の現状写真アーカイブス
2019年(平成31年)1月 2018年3月
2016年7月 2014年7月 2013年7月
   
使用航空機 海軍
93式中間練習機


青春の軌跡の実写写真
峯空園

峯空園の記念碑のシンボルとなった海軍のマンホールの蓋
その他の遺構

滑走路を横断する暗渠の入り口
周辺施設跡

口大野余部の本部庁舎跡は府営住宅が建つ 
 送信所跡地


峯山海軍航空隊の生き残り隊員の会、「峯空会」の作成した記録誌があります

峯空会編 「青春の軌跡」 から転載 (おもに航空隊員側からの記事です

「青春の軌跡」冊子の内容を、原文に従い以下に記載します
「青春の軌跡」
冊子写真
写真クリックで拡大画像を表示
1.峯空園の赤トンボ 6.空襲の記録
2.飛行場建設史 7.基地施設とその規模
3.峯山海軍航空隊の組織 8.峯空会のあゆみ
4.飛行教育のあらまし 9.峯空園の造成から河辺区の桜祭りへ
5.峯空特攻隊の猛訓練 
  (特攻隊編成表
10.あとがき(峯空の最後の最後)

峯空会は高齢と会員減少によって平成18年4月に解散したと聞いております。今となっては貴重な記録です。
(掲載許可を取っていますお読みください)

「青春の軌跡(続編)」
(平成16年発刊)
110ページ分です。

アップロード 
平成20年5月22日
   「青春群像」
(昭和48年発刊)
370ページ分です。

アップロード
平成20年7月22日

 平成26年8月、峯空会事務局 藤村恒雄氏が自分史をネットに公開されていますが、許可を得て本サイトに編集の上、以下のページを作成しました。
藤村恒雄自分史(1)我が海軍予科練の話 藤村恒雄自分史(2)特攻隊の話
藤村恒雄自分史(3の1)私の太平洋戦争史(1) 藤村恒雄自分史(3の2)私の太平洋戦争史(2) 
平成18年8月14日、元隊員RHさん(79歳 ブログ開設時)
峯山海軍航空隊 私の在隊当時を偲んで (web上のページ)ブログを始められました。貴重な戦争経験者の体験記録があります。ぜひご覧ください。(リンク許可いただいています)
 平成19年11月26日、上記ブログにRHさんを含む峰山の写真館で撮影した隊員写真が掲載されました。あまりにもあどけない少年達が特攻訓練をこの地で受けて戦地に飛び立ったのです。ぜひ、左下の写真をクリックして見てください。何か感じられると思います。感じられれば上記ブログを読んでください。
RHさんの上記ブログから時系列に編集した記事保存用のページを本サイトに作成しました。下記です。平成20年8月1日、81歳をもって、3年にわたったブログ更新を終えられました。
(ブログ)紹介ページを作成しました。アップロード 平成21年7月29日
『峯山海軍航空隊』 私の在隊時を偲んで (本サイト)
峯空に赴任されていた一分隊先任教員 小町 定氏に関する記述 
『ある零戦パイロットの軌跡 小町 定』

(この記事の出典元は「ある零戦パイロットの軌跡」ページ(web上のページ)がありました。)小町 定氏はすごい人です。撃墜機数15機のパイロットです。アップロード 平成21年7月29日
小町 定氏は平成24年7月に逝去されました。ご冥福を祈ります。
忠部隊隊員 泉 四郎氏の解説ページ がありました。リンクします。
通信隊 山本 善治氏の記述 「侵略戦争に生きた一人として」 リンクします。

平成28年 丹波の文化を伝承する会の発行している会誌 『旦波』 第九号  平成28年3月発行
 の中で!【 峯山海軍航空隊・河辺飛行場の記録 前編 】として 嶋田信行 氏が記事を書いておられます。今回は嶋田氏の許可を得て、本サイトに掲載いたしたいと思います。それまでに嶋田氏が昭和52年に作成されていた「峯山海軍航空隊(河辺の飛行場)の記録」も掲載いたします。その後嶋田氏は亡くなられております。

ご注意! 上記ページ内の記事、画像等は、峯空会編「青春の軌跡」編集者に著作権が帰属しています。したがい、編集者および本サイトの管理者の許可無く、他サイトに転載、転送、リンクを禁止します。また印刷して第三者への無断配布も禁止します。
 
昭和54年、大宮中学の一教師が生徒教育の一環として生徒と一緒にこんなドキュメンタリーを残しています

大宮中学校昭和54年版 「郷土と太平洋戦争」ー河辺飛行場と被爆の記録ーから転載
おもに飛行場周辺の住民からの記事が多いです

「郷土と太平洋戦争」冊子の内容を、原文に従い以下に記載します
「郷土と太平洋戦争」
写真クリックで拡大画像を表示
1.はじめに 7.航空隊の空襲の様子
2.飛行場建設(省略) 8.航空隊の終戦顛末
3.航空隊の諸施設 9.航空隊史 年表
4.航空隊のあゆみと訓練 10.資料、手記生徒の記録
(なまなましい記録です)
5.航空隊の事故殉職状況 11.あとがき
6.航空隊の特別攻撃隊
(掲載許可を取っていますお読みください)

ご注意! 上記ページ内の記事、画像等は、大宮中学校編「郷土と太平洋戦争」編集者に著作権が帰属しています。したがい、編集者および本サイトの管理者の許可無く、他サイトに転載、転送、リンクを禁止します。また印刷して第三者への無断配布も禁止します。
京丹後市峰山町 宮本氏 が航空隊跡地の紹介パンフを作成し
各地に配布されていました。原文に従い、それの内容を紹介します。
宮本 峰山海軍航空隊
 特攻隊出撃や空襲 
 悲しい時代を語り継ごう

(宮本保有写真)
特攻隊忠部隊鹿屋基地へ発進
特攻隊武部隊岩国基地へ発進
   宮本作成資料 駆逐艦「初霜」

峯山海軍航空隊練習機(赤トンボ)が宮津湾内に停泊中の艦に降爆訓練をしていたのは駆逐艦「初霜」であった。

 本サイトを製作する上で多大の資料提供を始め、ご理解とご協力をいただきました、峰山町室 宮本昭治氏は、平成22年7月に他界されました。生前のご好意に感謝いたしますとともにご冥福をお祈りいたします。 奥さんのお話では、宮本氏は当時では最年少兵であったそうですが、航空兵ではなく、志願で通信兵として峯山海軍航空隊におられたそうです。 貴重な証言者がおなくなりになり、まことに残念です。(平成22年8月追記)
平成20年5月〜7月に載せました「青春の軌跡(続編)」 「青春群像」 は、宮本氏所蔵の峯空会編の発行冊子をお借りして、スキャナ読み取りーテキスト変換して掲載しました。


ご注意! 上記ページ内の記事、画像等は、パンフ 「峯山海軍航空隊」編集者である峰山町 宮本昭治氏に著作権が帰属しています。したがい、編集者および本サイトの管理者の許可無く、他サイトに転載、転送、リンクを禁止します。また印刷して第三者への無断配布も禁止します。
その他記事
大宮町誌に記述されている河辺飛行場

前川氏提供資料による追加ページ

終戦時の峯山海軍航空隊の残存機種太平洋戦争の開戦太平洋戦争の経過太平洋戦争の終戦
 
このサイトが新聞その他に掲載されまし
●平成19年9月6−7日産経新聞丹後版
置き去りの戦跡 河辺飛行場の遺構(上)   置き去りの戦跡 河辺飛行場の遺構(下)
●平成20年8月22日 中山京丹後市市長自身のブログで「峯山海軍航空隊」について言及
●平成21年3月29日  京丹後市の地域ミニコミ誌「もりもり」に「峯山海軍航空隊跡地」が記事になりました。
●平成21年6月12日 京丹後市市議会議員 松本経一氏が「峯山海軍航空隊跡地」についてデジタル保存の可能性について議会で質問しました
●平成24年8月21日 朝日新聞 特攻の記憶伝える
●平成26年10月、毎日新聞に載りました。小林昭三氏の新聞記事と訪問記です。 
●平成27年1月、京都新聞に載りました。峯山海軍航空隊の記事です。 
●平成27年7月、広報誌「きょうたんご」に載りました。小林昭三氏の記事です。  
平成27年8月、毎日新聞に格納庫の内部写真が公開されました

●平成28年 丹波の文化を伝承する会の発行している会誌 『旦波』 第九号 平成28年3月発行の中で
【 峯山海軍航空隊・河辺飛行場の記録 前編 】として 嶋田 信行 氏が記事を書いておられます。今回は嶋田氏の許可を得て、本サイトに掲載いたしたいと思います。それまでに嶋田氏が昭和52年に作成されていた
●「峯山海軍航空隊(河辺の飛行場)の記録

●平成23年2月1日本サイトと直接関係ありませんが毎日新聞記者の目より記事のページ鈴鹿格納庫保存問題
 このサイトがテレビ番組資料に採用されました
●平成25年(1013)7月
 テレビ朝日のディレクターより連絡を受け、終戦特集企画で本サイトの情報を使わせてほしいとの申し出を受け、許可しました。存命されている峯空に赴任されていた気象観測士の回想がテーマだということでした。実際に取材に入られ、観測士さんも来られて撮影された模様でした。放送当日は注目してみていましたがあいにく福知山花火大会爆発事故が起きて大ニュースになり、特集番組はわずかな放映にとどまりました。

 ●平成26年(2014)7月
 鹿児島テレビより電話・メールあり、終戦特集番組で峯空から鹿屋基地に転属する予定だった気象観測士の回想番組で本サイトの当時の写真を使いたいとの申し出を受けて使用を許可しました。
 

峯山海軍飛行場見聞録(本サイト編集者)

 「空港探索ー3」サイトに「峯山海軍航空基地跡地」の情報が掲載(リンク)
(豊岡市長井さんからの紹介です。)2012.10
「舞鶴海軍航空隊(栗田水上機基地)跡地」の情報も掲載 「福知山航空基地(石原飛行場)」の情報も掲載

宮津の増田さんが宮津空襲(昭和20年7月30日)のサイトを作成されました。平成24年8月
上記サイトは閉鎖されました。

宮津空襲で駆逐艦が沈没    空襲は父の義弟の出征の朝、我が家の忘補帳
周辺の飛行場跡地、    Web百科事典ィキペディアにおける記述

2014年10月、小林昭三氏の新聞記事および訪問記

2014年9月、近所のおばあさんが語った戦時の記憶


new 2019年5月 我が地区の戦争体験者の手記
(フィリピン第一次バターン攻略戦より銃後の生活、空襲、戦後)



宮津 古川さんがフェイスブックに載せられた本サイト関連の航空写真など

宮津 古川さんから情報いただいた伊根空襲の記録
 
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