京丹後市の昭和の遺産 峯山海軍飛行場跡のページ。

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このページは、大宮中学校編 「郷土と太平洋戦争」 から転載しました。

(1)は じ め に


 昭和20年8月15日の終戦から、早くも33年余りの歳月が流れ過ざようとしています。今では戦争を知らない世代が多くなり、生徒は勿論のこと、親も、また教鞭をとっている我々教師の中にも戦争体験のない者が増えています。今や戦争とは遠い昔のこと、そして私たらとは何の関係もないことのように思われています。

 私たちが生活しているこの大宮町に、かつて海軍の飛行場がつくられたり、「赤トンボ」と呼ばれた練習機が毎日のように空を飛びまわったり、雪が降って飛行訓練が出来ないといっては除雪にかり出されたり、7月30日の米軍機の爆撃では、飛行場にとどまらず、多数の民家が被害を受けたりした出来事も、今では遠い過ぎ去った昔のこととして忘れ去られようとしています。

 また、お年寄から口伝えに聞いた記憶もいつしかあやふやとなり、かなり誤った事が事実として伝えられている面もあるように思われます。

 かつての飛行場は、今やその跡かたも見られず、広々とした田畑には新しい家屋が次々と建てられ、滑走路のあった辺りにはバイパスがつくられ、わずかに織物工場として使われている格納庫が当時の面影を残しているにすぎません。

 この忘れられようとしている戦争を、そして戦争とかかわった郷土の事実をもう一度見直してみる必要があるのではないかと思います。

 しかしながら、何ぶん軍隊に関することでもあり、資料も十分にありません。また戦争当時のことを知っておられる方も少なくなり、収録出来ない事も多くあると思いますが、出来る限り資料を集め、整理してみたいと思います。
                                  編集責任者 中 江 忠 宏



(3)峯山海軍航空隊の諸施設に移る


昭和54年 大宮中学校編 「郷土と太平洋戦争」 から転載



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 峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物  保存運動を!

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平成18年6月28日作成
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