京丹後市の昭和の遺産 峯山海軍飛行場跡のページ。

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峯山海軍飛行場跡の現存格納庫詳細(織物会社所有)
格納庫写真のスライドショーを表示

格納庫の構造詳細ページ追加しました。(h22.12.24)

正面写真

西から東向き撮影
(h18.4.23)

 滑走路に面した西側から写したものです。
 織物会社所有になってから、正面が塞がれています。

 この正面に飛行機を出入りさせる大きな扉があったと思われます。撮影場所付近は、昭和19年あたりには、赤トンボといわれる複葉練習機が出入りし、駐機場であったのではないでしょうか。

右側前方写真

南西から北東向き撮影
(h18.4.23)

 全体として屋根の形は格納庫時代の原型をとどめているが、横の木造の小屋は後で付けられた物と思います。

 昔は一面の草原で撮影場所あたりは滑走路の名残の舗装跡が草の中に残っていました。

( 昭和35年頃、私は峰山高校へ通学するのにこのあたりに残っていた滑走路の名残の道を通っていました)

右側後方写真
 
南東から北西向き撮影
(h18.4.23)

 こちらは後ろ側になります。

 この、格納庫跡の建物は、京丹後市大宮町河辺と峰山町新町の境界にある川の北側に建っています。

 その川からの撮影です。河辺の府道の河辺ー新町の境界付近からもこの形で見えます。

左側後方写真

北東から南西向き撮影
(h18.4.23)

 おなじく後ろ側の写真ですが、新町の市道から織物精錬工場の下側の田んぼからの眺めです。

 市道にそって家があり、右の写真の右側にはその家が立ち並んでいます。

 (昔は、この辺一帯には家はなく、どでかい建築物のように見えましたが、最近は家が建って、家にまぎれて目立たなくなりました。

 しかし、近づいてみれば、やはり格納庫だけあって、かなりの大きさであることがわかります。

左側前方写真

北西から南東向き撮影
(h18.4.23)

 同じく、市道にそってある、家の境界付近からの眺めです。

 建物は現在は使用されていないような気配で、老朽化も進行して、何時まで建っているか分からなくなりました。

 この貴重な昭和の遺産をせめて、本ページにて残したいと思います。


戦時中の写真

(峯空会)
我が青春の群像より
(昭和20年
7月24日)

格納庫は4棟あったということです。この写真のは何番目のかわかりませんが、現存のものと、側面が違う以外、非常に似た建物です。

 

2015年8月5日毎日新聞に掲載された内部写真(新聞よりスキャン)
     
吉村機業轄イ久間様のご配慮により内部写真を撮影しました。

機会があれば一度中を覗かせてもらってください。すごいですよ!


格納庫の構造詳細ページ追加しました。(h22.12.24)

棟部を見通した写真
(h18.10.23)

 西側の壁際付近(格納庫の扉あたり)から巨大な木造トラス構造の棟付近を東側に仰ぎ見たものです。

 (−以下の写真もそうですが、撮影日は、雨模様で陽がささず、格納庫には、外部写真を見れば分かりますが壁の下部に小さな窓が点在するだけで、屋根裏部は真っ暗でした。

 この条件で写るかな?と不安とともにほぼ絶望的な感じでした。
ー)

天井を見上げた写真
(h18.10.23)

 ほぼ真上を見上げた写真です結構な高さです。所々に電線が設置されてほの暗い蛍光灯吊り下げてがありました。

(−我がオンボロデジカメ「FUJIFILM FinePix 2500Z」では、夜景モードも無く、高感度撮影も出来ません。

 フラッシュ撮影して見ましたが、デジカメのフラッシュはポートレート程度用の光量の少ないもので、天井までは光が届かず、写したままでは、ほぼ真っ暗な映像でした
ー)

天井から屋根部分
(h18.10.23)

 棟から南側の壁にいたる弓なりの屋根構造を支える木造トラスです。

(−写したときは、ほぼ真っ暗な写真しか写らず、何が写っているのやら分かりませんでした。

 いちかばちかで画像ソフトで処理すると、真っ黒な中からなんとかこのような絵が浮いてきました。

 もっと高感度カメラがあれば、もう少しマシな画像になったのではないかと思います。
ー)
産経新聞の取材記事に寄れば、戦時中の屋久杉で出来ているとか

屋根部分を見た写真
(h18.10.23)

このような巨大な空間がアーチ型木造トラス構造で中に一本の柱も無く作られていることに驚きを禁じえません。しかも昭和19年から60数年にわたり現存しております。

 当時、鉄骨製と木造製の格納庫があり、鉄骨製は大雪で倒壊し、木造の方は鉄骨製より大型格納庫であったが、倒壊せず戦後まで残されたこの一棟は今も健在です。
(−内部に天井裏を照らす照明はありません。ー)

南側壁際部分
(h18.10.23)

 屋根構造が側壁の柱にかかる部分です。

(−撮影時現在は、織物機械、資材、紋紙等の倉庫として使用されております。

 照明もわずかですが、地表面あたりにある保管物などはこのHP作成目的と関係が無く、一切撮影を行いませんでした。

 屋根裏の木造トラス構造のみ撮影しました
。−)

府道から見た写真
(h18.10.23)

 京都府道の河辺ー新町間付近から良く見えます。道路上から北西側に旧格納庫を見たものです。

 端のブルーの屋根部分は平成16年10月の台風23号で破損して修理した部分ということです。

 所有している会社では、維持管理に結構な費用がかかり、大変ということですが、壊すにも膨大な費用がかかるということです。

内部を見た感想

 所有会社である 吉村機業株式会社 佐久間氏のご配慮により撮影が可能となりました。平成18年10月23日午後3時、業務時間中にもかかわらず、お立会いいただきました。見せてくれとか、こういった話は時たまあることらしいですが、今回は特別にHP作成の趣旨をご理解頂き撮影可能となりましたが、このHP見て申し込まれても許可が出るかどうかはわかりません。

 内部を見ると想像以上の巨大な木造建築物であることがわかります。柱が一本も無く、さすが格納庫!
この中に飛行機が15機入っていたということですが、この屋根の、戦時中のことで、貴重な国産の材木を使用してアーチ型木造トラス構造には目を見張ります。

 おそらくこんな木造建築物は丹後には他に無く
貴重な建築物であり、全国的にも、戦時は随所の飛行場に造られていたであろうが、

空襲で焼けもせず、取り壊しにも合わず、今日まで建て長らえているのはめずらしく
 貴重な昭和の遺産
であるとの感想を持った。

(所有会社役員)
佐久間氏の意見
年間数十万円と言う維持費がかかっている。
(所有会社社長)
吉村氏の意見
(産経新聞取材記事から転載)
保存のため市が買い取ってくれるなら、前向きに検討する産経新聞取材記事

 京丹後市の中心部でもあり、場所も良く、京丹後市が買い取って、展示物を入れて歴史証言物および文化・観光センターに使用できないか?

是非すべきだ、と思います。一度壊せば二度と戻りません。


格納庫の構造詳細ページ追加しました。(h22.12.24)

付属情報
この建築物の所有者 吉村機業株式会社→ (−会社紹介サイトにリンク−)

 吉村機業株式会社新町工場がこの建物です。

この建築物の存在する位置→ (−地図にリンク→−)地図の○印位置




峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物  保存運動を!

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平成18年6月28日作成
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