京丹後市の昭和の遺産 峯山海軍飛行場跡のページ。

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終戦時の峯山海軍航空隊残存航空機 前川資料より転載
この資料は昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和20年9月1日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令により海軍省軍務局が作成したもので原本はすべて英文となっていた。原本は現在防衛省戦史室に保管されている。(-資料筆者ー)

(都合で京都府関係欄のみ抜粋した。京都府に3基地ありました)

栗田基地=宮津市栗田小田宿野の関西電力エネルギー研究所および京都府立海洋センターの所にあった水上飛行機の基地です。(ー位置をマピオン地図にリンクー)栗田基地こと=海軍第31航空敞記事サイトにリンク

峯山基地=本ホームページで紹介している京丹後市大宮町ー峰山町境界にあった海軍の練習機基地です。(ー位置をマピオン地図にリンクー)

福知山基地=福知山市石原にあった海軍高速機用飛行場です。完成せず終戦を迎えたと言われていました(ー位置をマピオン地図にリンクー) (−石原海軍飛行場のサイトにリンクー)

 
基 地 保有機種・数 合計
栗 田 零式水上観測機 9機、   水上偵察機「瑞雲」 5機

九四式水上偵察機 6機、  零式水上偵察機 41機
61機
峯 山 零式艦上戦闘機 9機、    九六式陸上攻撃機 1機

二式陸上中間練習機 4機、 機上作業練習機「白菊」 2機

九三式中間錬習機 88機、  九〇式機上作業錬習機 2機
101機
福知山 局地戦闘機「紫電」 6機、     九三式中間錬習機 1機

九〇式機上作業錬習機 2機、 機上作業練習機「白菊」 1機
10機

 ただし、この数は概数であるらしく、終戦直後に飛行機に乗って帰至した機も重複されて計上されてある可能性があるという。以下にこの記述がある。

 峯空会編「青春の軌跡」には、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が在ったとは記述されていない

戦史書で、敗戦直後の混乱時に最寄の航空隊まで飛行機を復員に利用した搭載員が多くいたことを知った。そのため全基地に多機種の飛行機がだぶって計上されていたのでは?(ー資料筆者ー)

峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物  保存運動を!

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平成18年6月28日作成
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