京丹後市の昭和の遺産 峯山海軍飛行場跡のページ。

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補足資料 前川資料より転載(1) 太平洋戦争の開戦 
 昭和16年12月8日、米国及び英国に対し宣戦を布告し、ハワイ真珠湾に停泊中の太平洋艦隊・陸上基地を奇襲攻撃し、主力艦艇及び飛行機等に大損害を与えた緒戦の大勝から太平洋戦争は始まる。

 国力の劣勢から、次第に敗戦色が濃くなると特攻作戦に転じる。沖縄に米軍が上陸し、本土決戦・一億総玉砕と軍部が作戦変更する。

 天皇陛下は、昭和20年8月15日戦争終結をご決断され、連合国軍が示したボツダム宣言を受諾し、日本は無条件降伏した。



1 米国及び英国に対する宣戦の詔書

 昭和16年11月26日、米国ハワイ作戦機動部隊(空母4、戦艦2、巡洋艦9、飛行機約360機ほか)は無線を封鎖し南千島・択捉島を隠密出向した。

 12月1日、御前会議により、対米英開戦が決定された。

 12月8日午前7時45分、第一次攻撃隊 168機、 第二次攻撃隊と続いて停泊中の太平洋艦隊に突入し、戦艦4隻撃沈・ 4隻撃破、ほか巡洋艦等多数の艦艇を撃沈破、さらに飛行機480機撃破、基地施設を壊滅する等の大戦果を上げた。

資料にある太平洋戦争開戦の宣戦詔書









開戦における問題
 米・太平洋艦隊は、12月8日午前7時50分、初爆撃を受けるまで全く攻撃を予知していなかった。、真珠湾には、戦艦を初め97隻の艦船が停泊しているも対空火砲の4分1しか戦闘配置なし。 陸軍の高射砲陣地には弾丸の準備もなし。宣戦布告による戦時体制でないことは明白。 奇襲かだまし打ちか論議されている。


 平成12年12月8日、新聞に日本軍の真珠湾攻撃1時間前に駆逐艦が特殊潜航艇を発見、爆雷攻撃したと全米真珠湾調査グループが調査報告書を発表した記事が掲載された。


 戦争勃発時、真珠湾攻撃により太平洋艦隊は全滅したと聞いた.国民学校6年生だった少国民は大喜びし学校の『旗行列』で村内を歩いたことを思い出す.昭和17年3月、真球湾攻撃には特珠潜航艇5隻が参加し戦艦1隻を撃沈した。潜航艇の乗員は2階級特進し軍神となり国葬されたと発表された。

軍神の栄誉をたたえ軍歌も出来た.
 ・・・帰らぬ5隻9柱の・・・・(歌詞はもう忘れた)


 友達が集まり軍歌を歌いながら『隊長の岩佐中佐は1人で乗って行ったのだ』と納得していたように思う。 軍神は、岩佐中佐・吉野少佐・横山少佐・広尾大尉・佐々木特務少尉・横山特務少尉・片山・上田・稲垣各兵曹長である.(何れも特進後の階級) 船に関心があれば軍神1人が足りないと気付いていたはずだ。

 ★.乗員の艇長・酒巻少尉は浮上した艇から海面に飛び込み失神したが敵国に救助され戦後帰国した。


枠内は資料より転載しました。


峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物  保存運動を!

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平成18年6月28日作成
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