京丹後市の昭和の遺産 峯山海軍飛行場跡のページ。

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峯山海軍飛行場跡
2014年7月30日(空襲記念日)
の状態写真


【夏草やつわものどもの夢の跡 2014】
フェースブックに投稿記事を元に作成

 京丹後市大宮町河辺と峰山町新町の境付近に、六十数年前に海軍の飛行場がありました。その名残が今でもひっそりと残っています。付近のショッピングセンター・マインには連日多くの買い物客が訪れていますが、多くのお方はその存在に気づいては居られません。

 海軍の練習飛行場であったその場所は、戦時中に2年と少しの期間でしたが、死者も出す連日の猛訓練で一時は兵隊さんで3千人にもふくれ上がり、百数十名の特攻隊を練成いたしました。本部は大宮町余部に、兵舎は善王寺にあり、付近の住民はけなげな10歳代若者を温かく迎え、食べ物を与え、将校には住宅を貸与し、国家のために尽くした美談も多く残っていました。飛び立った特攻隊は鹿児島の鹿屋基地、広島の岩国基地、可部基地に赴任し、広島原爆を経験し、総攻撃直前で終戦となりました。

 特攻隊を送り出した飛行場は本土決戦のための飛行場として整備中に、終戦の半月前、昭和20年7月30日に米軍機により空襲を受けました。銃後の村として比較的平穏であった丹後が、最初で最期の戦場となった日です。

すべて2014年7月30日の画像です。

格納庫あと、全木造構造









潤滑油倉庫あと レンガ造り外壁モルタル塗り




弾薬庫あと レンガ造り外壁モルタル塗り 空襲当時ロケット弾により屋根は吹き飛んだまま





 もうひとつ屋根つき弾薬庫があった場所には、農用倉庫が建てられています。農道拡張整備で取り壊されたと聞いています。

付属情報

峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物

  保存運動を!
   開発から守れ!   まず、歴史建造物があることを知らせよう!



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平成24年4月1日作成
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