京丹後市の昭和の遺産 丹後の戦跡! 峯山海軍飛行場跡のページ。

TOPに戻る

峯山海軍飛行場見聞録
峯山海軍飛行場のほかの周辺にあった飛行場

海軍第31航空敞(栗田水上機基地)


 宮津市栗田小田宿野の関西電力エネルギー研究所および京都府立海洋センターの所にあった水上飛行機の基地です。(ー位置をマピオン地図にリンクー)


 この基地の存在は戦後の復興期に、私の祖父に連れられて、当時の国鉄宮津線の車窓から栗田湾の向こうに遠望されたと記憶しています。爆撃にあったのか、赤茶けた鉄骨の建物の残骸みたいなものが遠望さていました。

 さらに、祖父に連れられてこの半島の先端にある「機崎」という岩場に魚釣りに出かけたとき、国鉄宮津線ー栗田駅から徒歩で小田宿野まで歩き、荒れ果てた基地の敷地を通って行きました。
 小田宿野側には飛行機を海面から上げ下げするコンクリート板が海面まで傾斜して入っていてレールが敷いてあったようでした。
その奥には下の写真のような鉄骨の結構大きな建物の骨組みがあり、周辺は一面のススキの原っぱに物が散乱していたように思います。

 場所はいまの京都府立海洋センター(←これですね。この敷地でした。)と関西電力「魚っ知館」(ちょっと東側に外れるかな)あたりです。

第31航空敞に関する記述サイトより
昭和20年前後、今のエネルギー研究所がある場所に、海軍の飛行機工場「海軍第31航空敞」があったこと。そこで二千人もの人々が働いていたこと。その中には、多くの女生徒たちも含まれていたこと。工場がアメリカ軍に攻撃されたことなどが、写真と共に紹介されました。


 航空敞機体組立工場の内部(昭和20年頃)。その骨組みは、戦後、宮津小学校に移築され、現在も体育館として使用されている




(−詳しくは 記述サイトを開く ー)リンクH19.12
これ以外Webで見当たりませんでした。

宮津市小田宿野からみた第31航空敞のあった場所

白い建築物は関西電力のエネケン(火力発電所=休止中)

その右あたりに上の写真の組立工場があった。本部はこちら側の現在「海洋高校」がそうであったという。この湾内の海面が水上機発着水面であった。
斉藤氏のサイトに

「舞鶴海軍航空隊の概要 栗田航空隊 海軍航空廠」(リンクフリー)

があります。ご参考までにクリックください。(平成21年7月追記)



 

 福知山市石原にあった海軍高速機用飛行場です。完成せず終戦を迎えたと言われていました。

(ー位置をマピオン地図にリンクー)

 この基地の存在は、私は正直言って峰山海軍航空隊跡地サイトを作成するとき、Webで検索にヒットするまで知りませんでした。

石原海軍飛行場に関する記述サイトより
 石原飛行場と言われた日本海軍福知山航空基地の滑走路は、石原・戸田街道から川北西南まであり、長さ約一、七〇〇メートル、幅一〇〇〜二五〇メートルの滑走路と、高津に長さ六〇〇メートル・幅三〇メートルの「中訓練用滑走路」があって、将来石原飛行場の滑走路に延長合体する計画でした。石原飛行場は誘導路(飛行機を滑走路へ誘導する道路のこと)は総延長一一、二〇〇メートルという大きなもので、旧日本海軍自慢の超高速機の練習場として建設中であったようです。



基地の施設範囲は、東は高津から西は前田の愛宕山まで、北は川北の高林寺から南は大池坂の二子山までの広範囲におよんでいます。基地の青写真によると、土区に設置された飛行隊指揮所は鉄筋の四メートル×一〇メートルの大きさで八十%完成していました。その南の河岸段丘には中央指揮所トンネルがあり、延長三〇〇メートルは完成していました。その他、鉄骨式の戸田格納庫二棟、西南に小型機用土塁の無蓋掩体十二機分が完成、栗石敷誘導路も延九、八〇〇メートルは八十五%が完成していました。また周辺の川北の太光山・秋葉山・墓地山などの山上には高射砲陣地・観測所・通信設備・医療所までありました。遷喬校裏山やアキツの裏山などには空襲から避難するための横穴が掘られ、今もその名残がみられます。ちなみに、最近まで音をだした石原のサイレンは、当時西宮市から工場疎開してきた川西航空機製造会社が設置したものでした。戦後五十数年使用しましたが故障し、現在公会堂玄関横に置いてあり、戦時中の空襲警報や警戒警報、十二時の合図などの役割を果たして今は静かに休んでいます。

(−詳しくは 石原海軍飛行場の記述サイトを開く −)


峯山海軍航空隊の訓練で雪を避けて福岡飛行場へ集団移行したときの最初の着陸飛行場でありまた、特攻隊が鹿屋、岩国に展開したときの最初の着陸地であった「姫路海軍航空隊」の飛行場に関する記述ページがありました。ここにリンクします   ー鶉野飛行場(姫路海軍航空隊)
峯山海軍航空隊および飛行場についての情報、記録、写真お持ちの方はご連絡ください
  峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物  保存運動を!

TOPに戻る

inserted by FC2 system