京丹後市の昭和の遺産 丹後の戦跡! 峯山海軍飛行場跡のページ。

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2015年(平成27年)8月5日 

毎日新聞の丹後版の
戦後70年記事で丹後関係の部分に掲載されていました


タイトル  

「京都に残る戦争の跡」

「遠い昔ではない70年」
 

タイトル  

「京都に残る戦争の跡」

「遠い昔ではない70年」






平成27年8月5日、毎日新聞の上記タイトルにありましたのでここに掲載します。











峯山海軍飛行場の格納庫跡.かつて、「赤トンボ」と呼ばれる九三式中間練習機が並び、全国各地から集まった若者たちが訓練を繰り返していた.現在は織物会社が倉庫として所有している。            一京丹後市で

 「模型のような 飛行機で訓練」


 峯山海軍飛行場(京丹後市)から飛来する練習機「赤トンボ」は憧れの存在だった。44年4月、いつものよろに空を見上げ飛行機を追っていた岡田節子さん(85)=同市=が異変に気づいた時には頭上に機体が迫っていた。
 民家の敷地に墜落。駆け寄ると、2人の乗員のうち年若い兵士は意識が混濁し、「上官殿、上官殿」と繰り返した。岡田さんは「飛行機は模型のような簡単なもので、これで訓練していたのかと衝撃を受けた。

 戦争が身近にあったことを伝えていかないといけない」と話した。


 のどかな田園風景にぽつんと残された峯山海軍飛行場の火薬庫跡.米軍機の機銃掃射によって受けたとされる傷痕が残る     一京丹後市で






























 戦時中中国人らが働いていた大江山ニッケル鉱山の乾燥場跡に残る3本の煙突。ニッケルは砲弾の弾頭などを作るために欠かせない戦略物質だった。

 すぐ近くで高齢者らがグラウンドゴルフをしていた。
              =与謝野町で‥‥‥




 
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  峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物  保存運動を!

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