京丹後市の昭和の遺産 峯山海軍飛行場跡のページ。

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峯山海軍飛行場跡の現存弾薬庫詳細(個人所有)

これ以外にも、もう一棟あった??

 実はこれ以外にも同じような建物がもう一棟、近年まで建っていたといいます。それはこれと同じ並びで、屋根付きであったらしいですが、周辺の道路拡張のときにひっかり、工事に際して取り壊されたと聞きます。私は記憶に在りませんが、地区の人に教えていただきました。

 写真は入手していません。経過も今のところ不明です。判明すれば書き込みます。
弾薬庫写真のスライドショーを表示

右側前方写真

南西から北東向き撮影
(h18.4.23)

 滑走路のあった東側にほぼ一列に並んだ三戸の構築物のうち、一番北側にあります。

大型ショッピングセンター「マイン」その他の近くで開発の進む田んぼの中にほぼ、ひっそりとレンガとコンクリートの塊として残っています。
 何時かは取り壊される運命にあるのでしょうか。

左側前方写真

北西から南東向き撮影
(h18.4.23)

 西側前面の写真ですが、。

 昭和20年7月30日(終戦の16日前)、米軍機動部隊の艦載機による空襲を受けている。

そのとき、大破したと言われています。またその時の機銃掃射の弾痕があると言われているのは前面に残っている弾痕らしき跡でしょうか。

右側後方写真
 
南東から北西向き撮影
(h18.4.23)

 こちらは後ろ側になります。

 昔からこのままの屋根の吹っ飛んだ姿であったと記憶しています

  昔私が高校生の昭和37年頃は、戦争が終り17年を経過していましたが、飛行場跡は、ススキの生い茂った荒れ野でした。
 その荒れ野に飛行場の遺物が3個ぽつんと並んで建っていました。

左側後方写真

北東から南西向き撮影
(h18.4.23)

今は、一帯が大型開発の波にのまれており、土地価格も結構な価値となっております。何時かは取り壊され、太平洋戦争の貴重な遺物もなくなり、人々の記憶に無くなる日が来ようとしています。

 保存運動をしたいくらいです。

入り口付近写真

西から東向き撮影
(h18.4.23)

 

 破壊されたとき、弾薬は入っていなかったので大爆発は免れたとあります。

 内部はレンガを積み上げて、外装はモルタルを塗ってあります。

ロケット弾による破壊らしいですがそれでも衝撃力の強さが想像出来ます。

内部写真

南壁撮影
(h18.4.23)

 屋根はぽっかりと吹っ飛んだまま、60年の歳月が経っております。

内部に足を踏み入れると潅木が茂り、農家の方が堆肥を入れた跡がありました。 

内部から入り口写真

西向き撮影
(h18.4.23)

 一面の原っぱだったこの地も国道312号線沿いの一等地となり、田んぼは宅地や商業地となり、農道は市道となって拡幅舗装されつつあります。

 向こうに見えるのは大型ホームセンタージュンテンドーです。その向こうにショッピングセンターエールの看板がありました。

 この写真の前方に農道があり拡張工事が終わっています。やがて商用地として売却されれば取り壊しのおそれがあります

空襲の弾痕の跡

正面左側の壁

 これがいわゆる昭和20年7月30日の空襲で、米軍艦載機による機銃掃射の弾痕の跡と言われている跡と思われます。

平成18年9月30日撮影
付属情報
この破損建築物の所有者 個人です。

この建築物の存在する位置→ (−地図にリンク→−)地図の○印位置


峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物

  保存運動を!
   開発から守れ!   まず、歴史建造物があることを知らせよう!

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平成18年6月28日作成
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