平成19年9月6日 産経新聞の丹後版特集記事に紹介されました。
(このページは上版です) ークリックで記事イメージ画像を表示しますー
(−以下に新聞記事より原文のまま内容文を掲載しますー) |
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タイトル 置き去りの戦跡 河辺飛行場の遺構(上) |
戦争の記憶、今に
京丹後にあった特攻機地
京丹後市峰山町新町と大宮町河辺地区に、先の大戦の遺構が残っているのをご存知だろうか。
ここはかって、特攻隊の訓練基地となった河辺飛行場があった。残されているのは戦闘機格納庫と空襲で破壊された弾薬庫。
「歴史的遺構が消えてしまう」
と自身のホームページ(HP)で保存の必要性を訴える市民がいる一方、
市教委は「保存の手立てがない」という。
市内で唯一、戦争の記憶を刻み込み、痛々しい姿をさらしたこの戦跡は、市民や行政の無関心のまま放置されるしかないのだろうか。
河辺飛行場
昭和57年に旧大宮町が発行した「大宮町誌」によると、河辺飛行場は昭和19年に完成。滑走路は1.5Kmで4棟の格納庫などを備えていた。当初は第二美保海軍(鳥取県)に所属していたが、20年3月には峯山航空隊として独立。最終的には隊員数3,000人になり、特攻部隊も編成された。若い将兵達が日夜、突撃の訓練に励んでいたが、結局、センチに飛び立つことはなかった。
同年7月30日、同飛行場を狙って米軍機の機銃掃射が行われた。死傷者9人のほか練習機が炎上、弾薬庫は破壊され、滑走路に穴が開くなどの被害が出た。
戦後、滑走路は農地になり、施設は民間に払い下げられた。今、残っているのは弾薬庫2棟と格納庫1棟だけだ。
格納庫
格納庫は柱がないアーチ型トラス構造。戦闘機が15機ほど入る広さで、当時を知る付近の住民は「屋久島のスギで作られたと言う話を聞いた」と話す。
空襲による破壊を免れた格納庫は戦後、払い下げられ、織物業者の吉村機業(吉村孝道社長)の手に渡った。
同社は約10年前までここで織物を生産していたが、現在は倉庫になっている。吉村社長は
「保存のため市が買い取ってくれるなら、前向きに検討する」
と話している。
峰山航空隊の格納庫として使われていた建物
=京丹後市大宮町
(ー平成19年9月6日産経新聞丹後版よりー) |
弾薬庫跡
ロケット弾で破壊されたと思われる弾薬庫の残骸(縦4メートル、横5メートル、高さ3メートル)は大型ショッピングセンターの裏手にある。赤レンガ造りでモルタル仕上げの外装、屋根部分は吹き飛ばされており、外壁には弾痕と思われる穴がある。
入り口部分も破壊され、内側には何もなく、雑草が伸び放題。数十メートル離れた民家敷地内にもう一つあるが、市教委によると、これらはいずれも個人所有という。
大型ショッピングセンター近くの農地にひっそりとたたずむ弾薬庫跡
=京丹後市峰山町
(ー平成19年9月6日産経新聞丹後版よりー) |
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(−9月7日(下)記事紹介に移行ー)
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産経新聞 安岡記者さま、取材の上、特集記事を掲載していただき、ありがとうございました。
峯山海軍航空隊および飛行場についての情報、記録、写真お持ちの方はご連絡ください |
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峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物 保存運動を! |