京丹後市の昭和の遺産 峯山海軍飛行場跡のページ

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このページは、峯空会編 「青春の軌跡」 から転載しました。

(10)あとがき

峯山空の最後の最後


                    峯山海軍航空隊軍医長
                    峯空会会長 渡 辺 直 寛

 昭和20年8月15日、終戦の大詔換発後暫次解隊作業が進み、終戦時の混乱期に於いても、峯山空は舞鶴管下では最も軍紀整々とした解隊が行われた。と、小関司令も舞鎮長官より褒められたとのことであった。

 医務科の医療器具、物品をトラックに満載して舞病へ返還に行った。舞病副官がポータブル]線装置を見て、これを返還に来た施設はないと褒められた。当時ポータブル]線装置は貴重品で、利用度も極めて高い物だったから、復員の際無断で持ち出したものが多かったらしい。

 最後に残った口大野本部も返還閉鎖された後、峯山の岩崎別荘での暫しの残務整理も終了、小関司令も東京へ引き揚げられた。

 11月23日午後萩野飛行長と自分の二人は、最後に残った乗用車を引き渡すため、下士官の運転で岩滝の進駐軍兵舎へ行った。乗用車を引き渡した後、自分らは歩いて帰らねばならぬと告げたところ、峰山まで送るとのことでジープで送ってもらった。前席にはGI二人が乗り自分等三人は後席に乗せられた。

 きな臭い戦塵が収まってまだ三ケ月しか経っていないのに、敵さんは呑気にガムを噛み噛み大声でしゃべりながら、三ケ月前の敵を後ろに乗せて、平気で丸腰でジープを走らせている。全く人を食った態度で、感心もしたが、彼等の自信振りには圧倒された。

 峯山の旭屋前でジープから降ろしてもらったが、自分らもただ乗りではメンツにかかわる。「ビールを呑むか」と聞くと「OK」とのことで、旭屋からビールを数本取り寄せて渡すと早速ビンごとがぶ呑みしながら、「サンキュー」と言い残して走り去った。今なら飲酒運転だが。


 ポツダム宣言受諾、終戦。星霜五十年を経た今日、往時を忍べば誠に感慨無量であります。僅かに当時を偲ばせるものと云えば、木造の格納庫一棟、旧飛行場に通じるいわゆる海軍橋と旧医務料事務室の一棟を残すのみで、滄桑の変の感慨が深いのであります。

 現在、峯空園囲が地区の”花まつり“として年中行事の一つに組み入れられていますことは望外の喜びであります。






峯空会編 「青春の軌跡」 から転載



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 峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物  保存運動を!

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平成18年6月28日作成
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