京丹後市の昭和の遺産 峯山海軍飛行場跡のページ。
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峯山海軍飛行場跡のその他遺構 (平成18年4月16日撮影分) |
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【地下暗渠】 | |
ここに飛行場があった場所なので、当時から地下暗渠になった川があります。 昔は私が子供の頃、ここはコーモリが生息していて、この暗渠の中に入りコーモリを取った記憶があります。(ずいぶん長いトンネルを抜けると、そこは竹野側の川原だった。) 現在は暗渠に入るのは危険です。何が捨ててあるか、わかりません。 |
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上流の東側(府道側)の入り口 格納庫跡のそばにあります。 この暗渠を少し行った所に海軍のマンホールがありました (ー地図上の暗渠入り口ー) |
バイパスを越して下流側から東を見る 暗渠の上のコンクリートが道になっています。こちら側にもこのコンクリート暗渠の上にマンホールが現存していました。暗渠、マンホールとも戦時中のものです。 |
竹野川への出口 昔は土手だったと思いましたが護岸工事が されていました。 (ー地図上の暗渠出口ー) |
出口付近から中央加工場方面 いちばん飛行場の面影が残っている場所 |
善王寺側の橋(不確かな情報です) | |
「海軍橋」と言われているようです。 善王寺側の三つ橋側から旧飛行場敷地に 入る側に大谷川にかかる橋 橋を渡れば峯空園ですが、 あまり利用されていない古い橋です。 (ー地図上の海軍橋位置ー) |
余部にあった本部、善王寺にあった 兵舎方面から飛行場に入るのに 利用されていたのではないでしょうか。 上部は古いコンクリートですが下部は補強されているような感じ。 |
もう一本の橋と正門位置 | |
大谷川にかかるもう一本の橋です。付け替えられていますが、ここも南側からの入り口でこの先に滑走路の南の端がありました。この右に飛行場の正門があったと言われています。 (ー地図上の主入り口の橋ー) |
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官民境界 | |
官民境界 1 河辺部落と飛行場の境界を示す段差が残っています。この左側は平らな飛行場跡ですが、今は住宅地となっています。この段差は、西に向かってなだらかな田んぼを水平な飛行場用地にするために切り取った段差といわれています。 (平成18年4月23日北向きに撮影) (ー地図上の撮影場所ー) |
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上記の写真位置より数百メートル北の位置から、南側を撮影する。 (撮影日 平成20年2月2日) |
同じ場所で北向きに撮影 (撮影日 平成20年2月2日) (ー地図上の撮影場所ー) |
河辺地区と新町地区の境界の暗渠のある川(格納庫の南側)の田んぼの中に、かって飛行場であった当時の官民境界と思われる崩れたコンクリート壁が残っています。 (撮影日 平成19年11月11日) |
おなじくコンクリート壁を南の端から北向きに撮影しました。 (撮影日 平成20年2月2日) (ー地図上のコンクリート壁位置ー) |
滑走路位置の南端 | |
南府道(河辺)から見た滑走路の南端 畑の先の大谷川の向こうの道路のあたりが 滑走路の南の端であったようです (ー地図上の滑走路跡南端ー) |
左の写真に見える道路部分 この道路が終戦後、草ぼうぼうの中にあった 滑走路を利用した道路でした。いつも峰山高校に 此処を自転車で通ったものです。 |
滑走路位置の北端 | |
北府道(新町)から見た滑走路の北端 手前の橋のところまで滑走路が延びていました。 上の写真の滑走路を利用した道の北端部分です (ー地図上の滑走路跡北端ー) (平成25年7月写真変更) |
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峯山海軍飛行場の残存建築物は京丹後市の歴史建造物 保存運動を! |
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